【現代人に捧げる戦前国策スローガン】
●刷新は 今日から家から職場から(昭和十四年)
●手マメに消灯 手近な奉公(昭和十四年)
●贅沢品より 代用品(昭和十五年)
●物は大事に 無駄なく使え(昭和十五年)
●ゴミを見直せ 資源はないか(昭和十六年)
●一人が一つの 無駄省け(昭和十六年)
●資源の死活は 日本の死活(昭和十六年)
●あると思うな ない気で耐えよ(昭和十八年)
●衣食住 ここが耐えどこ こらえどこ(昭和十八年)
●切り捨てる 無駄は身にある 家にある(昭和十八年)
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20代の時失業したので、田舎で一人暮らしをしている祖父の家に泊まりに行っていたら
祖父が階段から落ち、入院した。
漁師の祖父に船を、水屋(家の一階が半分海に繋がっている家。うちでは倉庫に使っていた)に
入れるように頼まれた。
何度も手伝っていたので(俺も船舶免許有り)了解して、船を動かした。
舟止め場からいったん沖に出て、迂回して水屋を目指したが鈍い回転音がしたと思ったらエンジン停止
かろうじて手動で舵が効く状態になり、どんどん沖に流された。
遠洋用の漁船ならともかく、祖父のモーターボートには無線も無い。
慌てて発光信号を送ったが既に岸から8kmは離れている。
4時間ほどたち、小さな島の傍まで流されたので必死にオールで漕いで岸に着けた。
船を固定し、島中歩いてみたがどう見ても無人島。
手持ちは、煙草とライター、腕時計、晩飯に買った弁当とカップ麺、2gのお茶。
船の道具入れに、ヤカン、合羽、裁縫道具(網を修理する用)、薬各種、ナイフ、工具があった。
あと、釣り道具は当然ある。
それからサハイバルですよ。こつこつエンジン直して自力脱出するまで5日間。
祖父は「見舞いに来ないなー。交通が不便な場所だし仕方ないか。退院するときは迎えに来るだろう」
と呑気に構えていたらしい。
地域の人は、みんな俺が船を水屋に入れたと思っていたし、姿が見えないのは
祖父の看病に病院に行っていると思っていたらしい。
船の学校出ていて本当に良かった。エンジンいじる知識を教えてくれた先生ありがとうございます。
遭難したら、まずは水の確保。そして体力温存しつつ救助を待つ。
出来れば船影を見つけたらSOS信号を送る事。
当時ちょっとニュースになって、顔や名前が出たので少しフェイクいれてますが
上記はほぼ実話。
>>566
救助されてないんです。
エンジン直して自力で生還しました。
海水を沸かして、弁当の入っていたコンビニの袋を裂いて広げ蒸留水を集めたり
魚や貝を食べて生き延びました。
合羽は重要!あれが無かったら体温奪われて衰弱していたはず。
>>579
自力脱出してるあたりロビンソン・クルーソーというよりはチェアマン島のあの連中っぽいな
>>579
なんか何時だったかニュースで見て感動した憶えがある本にして出してよ俺買うから
>>579
合羽がなかったら、どっか島で腐乱か白骨だったのか…すげぇな
>579
あなたのサバイバル能力の高さに衝撃w
同じ目にあったらあっさり死ぬ自信があるw
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