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2006年06月02日

病気の私とアーティストの親友

11 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/31(水) 13:58:15
もうすぐ寿命がくるであろう、21歳の女。病名は詳しく言いたくないので省略するが、このことは家族と、ある一人しか知りません。(一応自宅療養してっけど)

まぁぶっちゃけ見た目は普通で、なんてことないどこも悪そうには見えない奴。
なので幸い周りの友達にはバレていないようで。
なんかあまりに急だったから、実感湧かないし家族はそれなりに泣いてたけど今じゃ落ち着いてる(陰ではどうかわからないけど)

唯一大泣きしたのは今月の半ば。私には尊敬しているアーティストさんがおる。そしてその人は大事な親友でもあったり。ずっとライブに来るように催促されていて、やっとこの間、初ライブに行くことができた(仕事辞めたから時間出来た)。
久々の再会ということもありライブ終了後に会うことに。
ファン仲間の友達数人(申し訳ないが、メンバーが親友と言う事も病気も言ってない子)とライブを楽しみ会場を後にした。ホテルに帰るとき
「次は〇月〇日のライブで会おうね!つーか絶対気合いでチケ取れよ、また一緒に遊びたい!」
と言われ、次は無いと分かっていたけど涙堪えて
「おめーもちゃんとチケ取れるよう頑張れ!またね」
と茶化すしか出来なかった。

ホテルに戻って、薬飲みながら一人で泣いた。これが見れる最後のライブと言うのもあって、色々な感情が交ざって止まらなかった。これがここ最近一番泣いた。

2時間位して、親友から連絡が入った。わざわざ打ち上げを途中で抜け出してきてきてくれたらしく、お土産にツマミとジュース。
時間の関係で1時間しか会わなかった。ずっとライブの感想や昔話で盛り上がった。疲れてるくせにずっと笑顔でいてくれた。
そろそろ帰さなきゃと思い、散らばったパックやら空き缶を片付けてると擦れた涙声が。

親友はうちの母から、連絡を貰っていたらしく、知っていた。
「〇は俺より5つも年下なのに、俺んこと置いてくつもりかぁ…?」
と泣かれた。下手な慰めよりも、彼の本心のような気がしてまた泣けた。
雑誌とかのインタビューを見てると、俺様態度で嫌なヤツという印象を持たれやすい親友。実際2ちゃんでも叩かれまくりだしwww
も本当は全然強くないタダの兄ちゃん。

私が落ち着いても、むこうは泣いていた。

続きます。

12 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/31(水) 14:01:16
180cm弱もある大男の頭を撫でて泣きやませる。意地からか、私もぐちゃぐちゃ泣いて共倒れ、なんてことはしたくなかった。
少し落ち着かせたところで、スタッフから電話がきたようなので帰した。
帰りぎわ

「俺はおまえを見送る歌は作らない。おまえが生きた事実を残すことしかしない、それだけは覚えとけ」
と。ありがとう。

あれから泣くことは少なくなった。でも親友の言葉、友達との約束、家族の気持ち…全部感謝しきれない。

まぁ、あとどれくらいか分からんけど、こんなこともあったと此処に刻ませておくれ。ファンとしても楽しかったし、あなたの友達でいられて幸せだったなぁ。
周りの皆様、支えてくれて生かしてくれてありがとう。

長くなりましたが、感謝の意を込めて。


2006年06月02日02:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 病気の私とアーティストの親友 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

カップヌードルとアフリカ人の留学生

421 おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/05/30(火) 19:33:35
カップヌードルと言えば、昔大学にいたフランスからの留学生を初めて寮近くのスーパーに連れてったら、
いろんなカップヌードルの山に『!!』て目を見開いて、その後ボワワーとばかりに泣き出したのよ。
ボワワーと。
彼はアフリカ某国出身で(国名は忘れたw)、内戦だかなんだかで一家は難民生活を与儀なくされて。
で遠戚のツテでフランスにたどりつき、国籍も取って、親の努力もあって本人は日本に留学までできるようになったんだが、
難民キャンプ時代、ひもじさを満たしてくれたのが支援物資の中のカップヌードルだったんだと。


425 おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/05/30(火) 19:40:56
『今は経済的にも余裕がある暮らしをしてるが、今の自分たちがあるのもあの頃のカップヌードルのおかげなんだ』
って泣き泣き話してくれた。

ちなみに本人は日本に留学するほどなのに、なぜかカップヌードルが日本発祥とは普段意識してなくて、
特殊な支援物資だと信じこんでたんだって。
今は割と世界中で売られてるはずだけど、なにせ昔なんでまだフランスでは目にしなかったのかも。
それからは完全にカップヌードルにはまってしまい、よく自室でカップヌードルパーティしてたよw
しお味がお気に入りだったなあ(トリビアでもあったね)


426 おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/05/30(火) 19:47:47
去年だったか、カップヌードルのCMでロシアの宇宙ステーションでカップヌードル食べるCMあったでしょ。
『No Border』てやつ。


あれ見るとやつのこと思い出してたよ。
2006年05月31日01:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - カップヌードルとアフリカ人の留学生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富士山に一緒に行ったS君の思い出

385 :水先案名無い人 :2006/05/30(火) 00:54:54
中1の時、仲の良い友達4人で富士山に登った。中学生同志で富士山に登るなんて、
今考えたら変な話だが、休み時間に『やっぱ日本一には登らんと』というよくわからん理由で
夏休みに登りにいった。俺を含め3人は普段運動が得意で頭が弱い典型的なスポーツ馬鹿だったが、
あとの一人はどちらかというと運動オンチで体も弱く、俺達はそいつには行くのを辞めるように勧めた。
そいつも『足手まといになるのは嫌だな』と言いながら、ちょっと悲しい顔をした。

その日の夜、そいつの(分かりにくいからイニシャルでS)の母親から電話があって、
『一緒に登らせてやれないかな?』と言われ、俺はちょっと躊躇したが他の2人を説得するのを約束して電話を切った。
次の日の朝、Sは『昨日おかんが変な電話したらしいけど、ゴメンな』と申し訳なさそうな顔で俺に話し掛けてきた。
『ええやん 一緒に登ろうや!』と言うと、『ほんまに?』と満面の笑みで喜んだ。
待望の夏休みになり、4人で富士山の五号目まで行くバスに乗って、富士山を目指した。4人ともやけに興奮していて
しゃべり続けていた。特に普段4人のツッコミ役でボソボソとしかしゃべらないSが一番大きな声でしゃべっていた。

5号目〜6号目〜7号目までは登山とはいえ、まだ緩やかな坂道でS君も息を切らせながらもなんとか登っていたが、
7号目〜8号目になると斜面もきつくなり、みんなでSのペースに合わせながら一緒に登った。
8号目につくと今日の寝床がある。8号目の宿だ。そこで夕飯をとる、といってもレトルトのカレーだったが、
うまいうまいといいながら、みんなでほうばった。飯を食った後、砂まじりの布団に潜り込み、『明日は晴れて
ご来光が見れるとええな!』などとはしゃいでいた。俺はちょっと青白い顔をしていたSが心配になり、『大丈夫か?』
と聞くと、『大丈夫や!』と青白い顔をしてSは答えた


386 :水先案名無い人 :2006/05/30(火) 00:58:04
S君に起こされ、夜中に宿を出る。夜が明けるまでに頂上にたどりつくためには、夜中に出ないと間に合わない。
9号目に差し掛かったところでSがうずくまって歩けなくなった。どうやら酸欠状態になったらしく、俺は8号目の宿まで
酸素の缶スプレー(名前は知らない)を走って買いに戻った。S君は苦しそうにしていたが、大分マシになり、
再び頂上を目指し始めた。そしてようやく頂上についた。
頂上ではご来光を拝むための人だかりができていて、俺もそのなかに混ざった。
数分後、空が白みはじめると、雲の中から太陽が姿をあらわした。
『スゴイな』と俺が言うとSは嬉しそうに『うん』と言った。
その時の喜びは今まで生きてきた中でも最高だ。

頂上ではご来光を拝むための人だかりができていて、俺達もそのなかに混ざった。
数分後、空が白みはじめると、雲の中から太陽が姿をあらわした。
『スゴイな』と俺が言うとSは嬉しそうに『うん』と言った。
その時の喜びは今まで生きてきた中でも最高だ。

高校になると、4人ともバラバラになり、Sは親の都合で東京に引っ越した。
でも高校に入ってからも、他の3人とはちょくちょく会い、Sとはたまに電話で近況報告をしたりしていた。
Sはいつも自分の近況報告はせず、富士山の時の思い出話をすることが多かった。
その後、俺は浪人生で受験の真っ只中、Sに連絡することも忘れていた時にSの母親から連絡があった。
『今日息をひきとってな。。。あの子、いつも富士山の時の話ばっかりしてたわ ありがとうな ありがとうな・・・・』
と泣きながら俺に礼を言っていた。俺が『死んだってどういうことですか!? 』というとSの母親は本当のことを話してくれた。


387 :水先案名無い人 :2006/05/30(火) 01:01:53
Sはすでに高1の終わりに、病気で高校に行かなくなり、ずっと家で静養していて、ここ数ヶ月はずっと状態が悪く、
今日息を引き取ったということだった。
電話を切った後、不思議と涙は出なかった。というより、急過ぎてなにが起こったのかわからなかった。
数日立ってから、富士登山の時の写真をみたときに涙があふれてきて、涙が止まらくなった。

Sが『うん』といったあの時の嬉しそうな顔は今でもあの時のまま、俺の記憶に焼き付いている。
2006年05月31日01:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 富士山に一緒に行ったS君の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

姉と話をして知ったこと

280 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2005/10/17(月) 01:32:56
ネタって煽られそうでアレだったが、信じてもらえそうで書きます。

 この間姉から実家に戻って来い話しがあると呼ばれた。
喫茶店に入り姉(もち既婚)「あんた。おかんに孫は無理とか言うてるらしいな。」
俺「うん。」
姉「おかん。泣いてたで。嘘でもそんなこと言うたらあかんで〜」
俺「嘘ではない。実際34にもなって1人も付き合えたこと無いからね」
姉「うそ〜。人生何回かモテ期あったやろう!」
俺「ま・まぁな」
姉「そうやんなぁ。あたしも20前後のときはもてまくったからなぁ」

 ・・・ごめん。姉ちゃん。俺見得はったよ。・・・なかったよ。そんなん。
つか好きで童貞はやってない。今まで玉砕に告ぐ玉砕で実ったこと無いし
もちろん告られたこともない。駄目って言われてそれでもアタックし続けてた
社内の娘にバレンタインに「家に帰るまであけないで」って箱渡されて
「なんだろ!手紙かな?直じゃ言いにくいもんなぁ。あの娘シャイだし・・・」
とウキウキ気分で帰って空けてみたら「 義 理 」とでかく刻印されたコンビニチョコ
が一個・・・一晩中泣いたのは言うまでもない。
そんな俺が言った親へのセリフがそれだ。
俺は姉に何言われても撤回するつもりはなかった。

でも次の姉の言葉に言葉が詰まった。

284 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2005/10/17(月) 01:46:10
姉「あんた。護摩焚きって知ってる?おかん毎年5本焚き続けてるの知ってる?」
俺「・・・何それ?」
姉「水子の為に焚いてるうだけど、あんたとあたし5つはなれてるやん?
これ別に意図的に話したわけじゃないんよ?あたしとねえちゃん女2人やったから
どうしても男の子が欲しくて毎年毎年頑張ったんだけど、5人流れちゃったんだって。
あたしも知らんかったからあんたもしらんやろ。
あんたはその子等のためにもがんばらなあかんねやで。」

 俺愕然となったよ。そんなに苦労して俺生んでくれたんだってね。
34年間そんなこと全く知らなかった。
・・・ごめんな。世に出れなかった兄ちゃん姉ちゃん。俺もうちょいがんばるわ。
無理だったとしても俺が死んでから「がんばったけどあかんかったわ。あはは」
と笑って報告できるくらいにはなるよ。

俺。来週からつか今日か。新しい会社に再就職で出社するんよ。
ここに書いた事景気に新天地でもう一回頑張ろうと思う。

長文ごめん。
2006年05月30日00:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 姉と話をして知ったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月27日

小学生の頃、貧しかった母と私

954 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/25(木) 15:17:34
小学校1年生の3学期も、もうすぐ終わりだという時期に
母親は俺と妹を連れて家を出た。
その当時の記憶はほとんど無いが、親父が借金こしらえて蒸発。
姑との仲も良くなく、家から追い出されたかたちっだたらしい(後から聞いた)。

移り住んだのは6畳と3畳のアパートで家具と呼べるものなどほとんど無く
最初の頃は、引越しのダンボールにお盆を載せたものだったのを今でも覚えている。

もちろんTVも洗濯機も無かったが、お袋が一生懸命働いてようやくそう言う物も
揃う様になって来た或る日。
その当時、俺の友達がよくうちに遊びに来ていて
その友達の一人が、「○○のうち洗濯機買ったんだ?」って玄関先に置いてある
真新しい洗濯機を指差して言った。
俺は今まで洗濯機が無かったのが恥ずかしくなり
「いや、今まで裏の方に置いておいたんだよ。」ってとっさに嘘をついた。

その後は何事も無く友達と遊んで夕方家に帰ると、いつもは優しいお袋が
「どうしてお前はそんな嘘をつくんだ、そんなつまらない見栄を張るな」
っていきなり叱られた。
どうやらその日休みのお袋は、さっきのやり取りを全部聞いていたらしい。
いきなり叱られた俺は、恥ずかしさといきなり怒られたことが納得がいかず
泣きながら布団に入りそのまま飯も食べずに寝てしまった。

どのくらい時間がたった頃だろうか、泣きながら寝ている俺のそばにお袋が来た。
寝ているフリをしていた俺にお袋は
「ごめんね、ごめんね」と何度も言いながらそっと親指で俺の涙をぬぐってくれた

今でもその感触は忘れられない・・・
2006年05月27日02:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 小学生の頃、貧しかった母と私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

仮死状態で産まれた娘の話

957 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/25(木) 18:09:04

娘は出産時に問題があり、仮死状態で産まれてきた。
NICUに入ったが、ミルクが飲めなかった。
5日ほどで出られるでしょうと言われていたが、当日になって
「やはりミルクが飲めない、消化できない。もう少しNICUにいてもらわなくてはいけない」
と言われ、医師や看護師の前で娘を抱いたままボロボロ泣いてしまった。
その日は一日中涙が止まらなかった。目が腫れあがって開かなくなるほど泣いた。
それまでは生まれたばかりの娘と離されていても、管につながれた娘の姿を見ても
きっと大丈夫だろうと楽観的になっていたが、もしかしたら娘はずっと栄養が取れず
死んでしまうのではないかとドッと不安が押し寄せてきて耐えられなくなった。
思えばあのときが、情の薄いタチの自分が親として目覚めた瞬間だったのかもしれない。
結局娘はそれからすぐにNICUを出ることができたのだが、
その知らせを聞いたときも 嬉しさでまた泣いた。

今 娘はすっかり元気になり、いたずら大好きなおてんば娘に育っている。
昨日も寝ているときに顔を蹴られて涙が出た。

全く、この子には泣かされっぱなしだ・・・
2006年05月26日15:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 仮死状態で産まれた娘の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

洋服店にきたおばあさん

789 FROM名無しさan 2006/05/24(水) 19:47:13
昔、幅広い年齢層向けの服の販売のアルバイトしてるときにおばあさんが入ってきた。
いつものように接客しに行って、男物の服を見てたので「プレゼントですか?」って話しかけた。
そしたら、おばあさんが「いや、外から見て10年前に死んだうちのおじいちゃんがよく着てた感じの服があったから、懐かしいなーと思って見てたんだよ。」って言われて、懐かしそうに服を手に持って見回してた。
でも、おばあさんの目がすごい悲しそうで見終わった後、「ありがとね。」って言って帰ってった。なんかすごい切なくなった。
スレ違いすいませんでした。



790 FROM名無しさan 2006/05/24(水) 21:39:19
>>789
・゜・(ノД`)・゜・


791 FROM名無しさan 2006/05/24(水) 22:35:27
>>789
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚


792 FROM名無しさan sage New! 2006/05/25(木) 01:07:00
。・゚・(ノД`) 。・゚・(ノД`) 。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ヨチヨチ
2006年05月26日14:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 洋服店にきたおばあさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月24日

高いおもちゃを買えなかった母の思い出

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/23(火) 13:19:01
悪いんだけど、俺のカーチャンの話も聞いてくれ。

家は貧しくは無いけど裕福でもない、そんなどこにでもある家でした。
小学生の頃、当時テレビでやってた○○レンジャーの合体ロボがどうしても欲しくて欲しくて
その気持ちを秘めながら毎日を過ごしてた。
だから誕生日に、おもちゃ屋でその合体ロボをねだった。
でも、やっぱ高価だったこともあってカーチャンは渋い顔をしてた。
「そっかー。これが欲しいのかー」って言いながら、何度もサイフを確認してたと記憶してる。
俺はその気持ちを察して、こっちのブロック(2000円くらい)も同じくらい欲しいからこっちが良いって言って
そっちの安いおもちゃを誕生日プレゼントとして買って貰った。

5年前の8月、夏の暑い日にカーチャンが死んだ。眠るように死んでいった。
死んだ後、家族みんなでカーチャンの遺品整理をしていたら引き出しの中から手紙を見つけた。
その手紙は家族全員に一言ずつ書かれてて、俺には
「あの日、困ってたカーチャンの気持ちを察して安いおもちゃにしてくれてありがとう。その気持ちを忘れないで。
 本当はもっと贅沢させてあげたかったよ。ごめんね。」(うろ覚え)と書かれていた。涙が止まらなかった。
2006年05月24日01:15 | コメント(1) | トラックバック(1) | 感動 はてなブックマーク - 高いおもちゃを買えなかった母の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長女がクレヨンを折った訳

762 :名無し職人 :2006/05/23(火) 00:07:54
長女(当時4歳)が幼稚園の行事の参加記念品だかで箱に入ったクレヨンの
セットをもらってきた。
ところが、こともあろうにその日の夕方、見事に全部折っちゃった。
当然うちの嫁は激怒、しかられて長女も大泣き。それで、
「お前、なんであんなことしたんだよ?」

「だって、○○ちゃん(次女、当時2歳)と ヒック
 クレヨン半分こするって ヒック
 約束したんだもん ヒック」
2006年05月24日00:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 長女がクレヨンを折った訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

幼稚園の時のお弁当と母の思い出

851 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/22(月) 22:17:50
 幼稚園の時弁当の時間に仲良かったTちゃんがとなりに座ってて、
「おかずとっかえっこしよ」といってきた。 「うん、いいよ」と私。
そしたらTちゃんの反対側に座ってたAってコが聞こえよがしに耳打ちしたんだわ。
「Nちゃんのお弁当、ごはんばっかだから損だよ。 やめなよ」

たしかに私の弁当箱はご飯を入れるスペースが広かったんだけどね。
母の実家は米どころ宮城でさ。 いつもササニシキのとれたてを送ってもらってて。
しかも釜炊きだったから、私にとってはうちの白飯はご馳走だったわけ。
おむすび弁当だって大好きだった。
別にTちゃんには普通にその日のおかずのコロッケとかそういうのあげるつもり
だったんだけど、Aのこの一言でカーっと頭に血が上ってね。

次の瞬間号泣しながらAに掴みかかってった。 楽しいはずの弁当タイムに
突然女の子同士のつかみ合い勃発に大慌てで引き剥がす担任。
押さえつけられながら
「おかあちゃんのおべんとう美味しいもん!Aちゃんなんか大嫌いだ!」
とか延々さけんでた。 …弁当ひっくりかえしちゃったんだけどさ…

その後私とAは別々に呼ばれて事の発端を説明させられた。
その日のお迎えのときに担任が母と少しの間話してた。
(Aの親も同様になんかいわれてた)

帰り道、いつ怒られるのかとびくびくしてる私に母はなにも言わなかったよ。
いつもと全く変わらんの。 ただ、その日の晩御飯はいつもより時間が早く、
メニューは私の大好きなハンバーグだった。もちろん炊きたてご飯たっぷり。


852 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/22(月) 22:20:17
で、次の日持たされた弁当がいつもと様子が違うわけ。
なんか包みがごつい。
「お弁当の時間まであけちゃだめだからね」と念を押された。

午前のお時間がすぎて弁当タイム。
中から子供の自分の顔なんぞすっぽり隠すくらいでっかいおむすびが1個出てきた。
おかずは卵焼き、唐揚げ、いぶりがっこ…だったかな。
もう周り中から羨ましがられたよ。
「いいなあー!さるかに合戦みたい!」
「僕もママに同じのつくってもらう!!」
照れ笑いしながら一生懸命食った。 たらこだの梅だのねりおかかだの
色々入っててさながらビックリ箱おむすび。
途中で腹くちくなったけど最後まで休み休み平らげた。 

帰宅してからっぽになった包み手渡したら、顔中くしゃくしゃにして喜んでくれましたね。
おかあさん有難う。改めてうちのご飯は世界一だと思ったよ。
ガキのクセに生意気な感想だけど。

家を出た今も、米は釜で炊いてるよ。
でーっかい具たくさんおむすびは私が落ち込んだときに作る
必殺入魂メニューです。
2006年05月23日01:45 | コメント(9) | トラックバック(1) | 感動 はてなブックマーク - 幼稚園の時のお弁当と母の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

中学時代の友人と飲みに行ったとき

789 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/21(日) 20:54:05

いつも3人で遊んでいた友達がいた。
中学からの付き合いでもう10年も経ち、成人してからは共に酒を飲むようにもなった。
互いの仕事の愚痴や恋愛の話、いろんな話をしても、言い足りないくらい、
たくさんの話をこの3人でずっと話してきたように思う。
学生時代からずっと、そんな風にして過ごしてきた私たちは変わらず、
いつもの3人で飲みに行くことになった。この日は互いの仕事の関係でなかなか都合が合わない中、
1ヵ月ぶりの飲み会となったのだ。いつもの飲み屋、いつもの会話、いつもの表情、
すべてが変わらない時をともに過ごしてきて、それにすっかり馴染んでいた。
この日の飲み会は12時ちょっと過ぎに切り上げ、一緒のタクシーに乗り帰宅する予定だったが、
タクシーに私と友人の2人を載せたところでまだ乗っていない友人が、2人に向かってこう言った。
「あ、俺、ちょっと歩いて帰るわ、悪いな」
私たち2人は、そいつの行動になにも疑いを持たないまま、歩いていく彼らを見送り、
運転手にそれぞれの場所を告げて、タクシーはその場から走り出した。
隣に座っている友人は「あいつ、この前彼女にふられたから、一人になりたいんじゃね?」
そう軽口を飛ばして、私もそれにつられて「ああ、きっとそうだ」と笑いながら大きく相槌を打った。

年末のせいで、相変わらず仕事が忙しい日が続いていた矢先に、
タクシーに乗らなかった友人の死を知ったのは、その日から2日後のことだった。
投身自殺だった。自殺した友人は、仕事を突然解雇され、行く宛がないまま死を向かえた。
あの日、1人で帰るといいだした彼は、あの日に死んだのだと、後に私は彼の両親に教えられた。
なぜ、あいつを止められなかったのか、と今でも後悔の念に駆られる。
2006年05月22日16:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 中学時代の友人と飲みに行ったとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テレビを見た父が泣いた理由

806 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/21(日) 21:49:49
去年の12月ごろ、アンビリバボーで、
心臓病の女の子の話が放送された。

私はバイトに行っていて見ていなかったんだけど、
母が言うには父がそれを見てぼろぼろと泣いたらしい。
理由は私がその人と同じ心臓病だから、
私が小さい頃を思い出して涙が出たとのこと。

とはいえ私は手術が必要ないほど軽いものだったし、
高校入って医者から病気であることを学校などに
報告する必要もないぐらい治ってるといわれていたので、
自分自身心臓病のことも普段忘れてるぐらいだった。
だからそのときはふーんって感じだったんだけど、
その夜布団に入りながらものすごく泣いた。

小さい頃は検診のために毎年大きな病院に行ってたんだけど、
それは母がつれて行ってくれていたし、
心配してくれた思い出が多いのは母のほうだった。
だから、どんな感動する映画とかでも泣かない父が、
泣いて、そんなに私のことを心配してくれていたんだ、
もともと不安とかを口に出さない人だからずっと
我慢してたのかなと考えたらすごく泣けてきた。

本当に、この両親の間に生まれてきて良かったな、と思った。
2006年05月22日02:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - テレビを見た父が泣いた理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

仕事が辛くて辞めたいと母に言ったら…

754 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/21(日) 11:21:47
仕事が辛くて辞めたいと母さんに言ったら、
はっきりとは言わなかったけど辞めてほしくなさそうだった
ちょうどそんなころ母さんにガンが見つかって手術をした
でもすぐに再発、転移して1年後には死んでしまった
母さんに荷物を整理していたら、大切のものとかかれた箱が見つかって
開けてみたら1500万の貯金と、仕事が辛かったらやめても良いよ書かれた紙が入っていた

仕事はもう少し続けてみるよ
2006年05月21日22:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 仕事が辛くて辞めたいと母に言ったら… | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

病院で仲良くなった女の子の思い出

977 :Mr.名無しさん :2006/05/19(金) 19:57:46
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。
俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。
んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。
んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。
んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。
でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。
それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…



978 :Mr.名無しさん :2006/05/19(金) 19:59:02
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。
それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。
「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。


979 :Mr.名無しさん :2006/05/19(金) 19:59:55
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」
と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。
俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。
一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。
懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった
もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。

パーティー四人の名前がこうなっていた。

「リョータ」

「いろいろ」

「ありがと」

「バイバイ」

…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。


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2006年05月20日01:18 | コメント(12) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 病院で仲良くなった女の子の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

小さな雑貨屋に来た女子高生

745 名前:FROM名無しさan 投稿日:2006/05/15(月) 03:26:20
私のバイト先はデパートのテナントの小さな雑貨屋。

先月高校生の女の子が一人来店して、2時間ほど店内を見て回っていた。
その時間の店員は私一人で、何を探してるのかなーってその子をこっそり見ていた。
私と目が合うと女の子はちょっと恥ずかしそうにレジにきて、ちょっとお時間良いですか、と聞いてきた。
その時間は暇な時間で、客もその子を含め5人ほど。私はその子の相談に乗ることになった。
その子は明日誕生日だという男の子に、プレゼントを渡して告白しようと思ってる、
と真っ赤になりながら、私の耳にこっそり言った。
でも、何を渡したら喜ばれるのか分からない。というのがその子の相談内容だった。
その男の子は野球部、趣味は分からない。いつも試合には2Lのペットボトルのスポーツドリンクを
持参してる、というのが私が聞いた彼の情報。
私がその子に進めたのはブルー系のストライプ模様のタオルセット(フェイス用とハンドタオルの2枚組み)と
2Lのペットボトル用の保冷カバー。デザインはタオルとおそろい。この二つをその子にすすめた。
その子はそれを気に入ったらしく、喜んでそれを買って行った。
私はプレゼント用にラッピングをして、頑張ってね、とその子にそれを渡した。

そしてその1週間後くらいに、その子は彼氏と来店。
お姉さん、私恋がかなったよ!お姉さんのおかげだよ!と本当に幸せそうに笑っていました。
彼氏も照れくさそうにお礼をいうと、俺いまめっちゃ幸せ、あのタオルとカバー持って絶対甲子園行きます!と
言って、二人でにっこり笑ってくれた。

この二人は週に何度も来てくれて、いつもおそろいのものを買っていく。
今時珍しいんじゃないかと思われる純粋な恋人同士にいつも癒される。
今じゃこの幸せな二人を見るのがとても楽しみになってる。
2006年05月18日01:28 | コメント(5) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 小さな雑貨屋に来た女子高生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月16日

30年前に父が書いたラブレター

755 名前: 可愛い奥様 2006/05/12(金) 23:02:07

長患いしていた父がとうとう逝ってしまった。
前々から「俺が死んだらアレを棺おけに入れてくれ」と託されていたものがある。

便箋いっぱいに、大きく四文字だけ書いたラブレター。
若かりし頃の母が、父からもらった30年前のラブレター。
母が隠していたのを、いつの間にか見つけて自分で持っていたという。

「 す き で す 」

一文字、一文字をよく見ると母の名前の集合体で出来ている。
この手紙がなかったら私は産まれて来なかった。
ありがとう、お父さん。ちゃんと入れといたからね。
2006年05月16日01:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 30年前に父が書いたラブレター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

父に言ってしまって後悔したこと

946 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/14(日) 13:23:30
俺が消防の頃。

サッカー少年団に入ってて、毎日遅く迄練習。
帰ってきて夕飯、TV観てれば9時位になる。

そんなある日、TV観ながらゴロゴロしてると…
親父『(新聞読みながら)早く勉強して、寝ろよ!』
俺『うるさいなぁ!!』
そんな感じで言い合い。

親父が新聞読むの止めて、トイレに行く。
その間に、新聞の隅に“うるさい!働きに行け!!”って書いた。
俺の親父は、労災で働けない体なのに…

それから、俺は一人で風呂にはいってた。

947 :つづき :2006/05/14(日) 13:33:37
そこに親父が入ってきて、ポツリと
親父『父さん、働いたほうがいいか?……
…父さん死んじゃってもいいんだな?』
って言われたとたん、大声で泣いたよ。
なんてこと書いたんだ!
俺はバカだって責めて、風呂から出てきて床についても、泣きじゃくった。母さんは訳もわからず泣いてる俺を見て??になってたけど
あの時が生きてきた中で、一番泣いたな。
朝まで泣いてて、目がすごく腫れてた。

949 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/14(日) 14:10:46
親父はトラック野郎だったんだ。
トラックに荷を積んでるとき、ロープがしっかり架かってなかったんだって。
3b位のとこから、後向きに落ちて首やっちゃって、
今も頸椎がズレちゃってる。体の左側に痺れがあるんだ。
普段の生活はそれぼど、支障はないけど、
雨の日頭痛くなったり、痺れがひどくなったり、
風邪ひくと発作が出たりするんだよ。
ズレた首の骨が頸椎の神経を圧迫して、なるんだと。
2006年05月15日00:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 父に言ってしまって後悔したこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月13日

私に名前をつけてくれた祖母

518 :名無しさん@どーでもいいことだが。:2006/05/11(木) 23:45:45
>>490
どんな素敵な名前なんだろう。名前褒められると嬉しいよね。

名前つながりでずっと吐き出したかったチラシ1枚。
自分の名前は父方の祖母が考えてくれたものだ。
漢字も読みも二文字の、超伝統的な日本人女性名。
わかりやすく言えば三戸校門とか大丘絵知全とか
禁さんとかに必ず出る、レギュラーだった事もある名前。
悪く言えばバアサンの名前なため小さいころは
自分の名前がキライでキライで仕方なかった。

決定的だったのは小学校入学時、名前だけ聞いた相手に
全員男だと思われた事。
子供だから今思えば女性名だとわからなくて当然なんだが、
当時は相当ショックだった。

でも大きくなってからふと
何故両親は祖母に自分の名前をつけさせたのかと思い、
両親にその時のことを尋ねてみた。
自分には姉が1人いて、姉の名前は母がつけた。
自分が生まれた時は父が命名するはずだったのだが、
二人目が娘とわかった時に父は祖母につけさせようと思ったのだそうだ。

祖母は女の子を切望していたものの、
その機会に最後まで恵まれなかった人で、
一度だけ授かった女の子は首にへその緒が
巻きついてしまっていて死産だった。
娘が生まれたら絶対につけたい名前があったのだそうだ。
そのことを知っていた父が「自分はいい名前思いつかないから
母さんいい名前考えてくれないか」と私の命名権を祖母に譲ったのだそうだ。

数年前、祖母は風邪をこじらせ4ヶ月の入院のすえ亡くなった。
恐ろしいほどの勢いで進行した認知症と、
肺に水がたまり重度の酸欠がひきおこした
脳障害のせいで最後のほうは私のこともわからなくなってしまった。
でもとうとう「こんな素敵な名前つけてくれてありがとうね、ばあちゃん」と
言えないままだった。
今でもそのことを死ぬほど後悔している。

進級し社会に出て名乗る機会が増えると、
名前を褒められることが多くなった。
字がいいし、とても日本人女性らしい
良い名前だと言われることも多い。
この名前は一生私のいちばんの誇りだよ、ばあちゃん。
2006年05月13日22:22 | コメント(5) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - 私に名前をつけてくれた祖母 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

おばあちゃん子だった私

756 :名無し職人 :2006/05/11(木) 17:42:43
俺はおばあちゃん子だった。
両親が共働きだった事もあって妹とお婆ちゃんと
3人で暮らしてるようなものだった。

中学校にあがって俺は少し荒れた生活を送っていた。
タバコや酒を覚えたのもこの頃からだった。

ある日、大き目の喧嘩があって血だらけで家に帰った事があった。
お婆ちゃんはものすごくびっくりして泣いていた。
次の日、俺と仲間数人で報復に行ったが見事に返り討ちにあってしまった。
もうだめだ!と、思った時お婆ちゃんが走ってきて、
「ごめんなさい。ごめんなさい。
○○ちゃんは本当は優しい子なんです。
許してやってください」と泣いて誤っていた。。。

そんなお婆ちゃんが先月死んだ。

思えば葬式で一番泣いてたのは俺かもしれない。
数日後、遺品を片付けていると俺の名義の通帳と手紙が入っていた。
みると少ない年金でこつこつ溜めてきたものらしい。
「○○ちゃんが結婚する時の足しになれば良いと思って、、」
この文を読んだ時、目から涙が溢れ出してきた。。
ごめんよ。。
ごめんよ。。
俺、頑張るよ。
だから安心して見守っていてね。お婆ちゃん。

これは俺の大切な思い出だし、フィクションの話です。
2006年05月12日01:12 | コメント(4) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - おばあちゃん子だった私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月05日

あるバーテンダーの話

529 :2006/05/04(木) 13:25:54
昔、俺がまだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。

その店は10階建てのビルの地下にあった。で、地下にはうちの店しかないんだけど、階段の途中にセンサーが付いてて、人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光ってお客さんが来たのがわかる仕組みになっていた。

でもたまに、フラッシュが光っても誰も入ってこない、外を見ても誰も居ないって事があって、俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなって半分冗談みたいに、ウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置いて「ごゆっくりどうぞ〜」と言っていたんだ。

それからはそれがおまじないというか、げんかつぎみたいになって、そうゆうことがあると、いつもそれをしてた。そのうちお客さんも「おっ今日も来てるねー」みたいな感じになって(そうゆう日に限って店は凄く忙しくなった) 姿は見えないけど、その頃は店の常連さんみたいに思っていた。

ある冬の朝方、またフラッシュが光ったんで、こんな遅くにお客さんかぁと思って外を見ても誰も居ない。なんかそのまま朝の空気が心地よいので、階段の上まで昇って一服してたら、突然の大地震。そう阪神大震災です。

うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでました。

あとから考えるといつもただで飲ましてあげている、あの見えない常連さんが助けてくれたのかなぁと思います。

今も違う場所で自分でお店をやってますが、その店のスイングドアが風も無いのにギギィーって揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いてます。

そして心の中で「いらっしゃい。あの時はありがとうございました。」と思うようにしています。
2006年05月05日01:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 感動 はてなブックマーク - あるバーテンダーの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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